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型打ち 角皿 S (ふちサビ) 販売終了
商品コード:67505-02

商品仕様: 約w9.8×d9.8×h2.1cm 磁器
商品説明: 山本亮平さんの「型打ち」のうつわ

有田で最も古い窯場のひとつである「天神森窯跡」が裏山にあるという山本亮平さんの工房をお訪ねしたのです。庭を掘ると初期伊万里の陶片が出てくることもあるのだそうですからびっくりです。初期伊万里というのは、江戸時代の初頭に作られた伊万里焼のことです。有田を中心に肥前で生産が始まった国内初の磁器は、伊万里港から出荷されたために伊万里焼と呼ばれました。それまで厚手の陶器のみだった日本の焼物に、繊細で真っ白い器肌の磁器が加わったことは実に大変革で、長年憧憬していた中国陶磁のスタイルを模しながらも、日本独自の意匠を急速に確立していったのです。東京出身の山本さんがこの地に来ることになったのは、有田の窯業大学校で磁器の絵付け技法とロクロ成形を学ぶためでした。1年半の研修を終了後、そのまま窯元に就職し、絵付け工として3年間を過ごしました。この3年の期間は、自分の技術を磨くと同時に、陶芸作家として独立するために何を作るべきかを考える期間でもありました。「型打ち」の技法を試してみたのもこの時でした。そして、「型」からうつわがはずされる時、同時に自分のからだの中からも、うつわがすっと離れていくような感覚を覚えて、とても心地よく思ったのだそうです。自分の手で引いたうつわも「型」を経ることで、新しい姿に生まれ変わるということが、自分との間にちょうどよい距離感を生むという感じなのでしょうか?ともかくは、やってみてしっくりくるし、性格に合う気がしたのだそうです。けれども、独立に際して一番に思ったことは、数えきれないほど多くの陶芸家の中では、あたりまえのかたちでは勝負できないだろうということでした。まずは、誰が作ったのかが一目で分かるような特徴が必要なはず、と考えました。地味な「型打ち」はあきらめて、とにかく個性的であることにこだわりました。こうして、初めて東京のお店の方に自分の作品を見てもらう機会を得た時のことです。「もっと普通でいいんだよ。」予想外な言葉に、え? なんだそうだったのかと、帰りの飛行機の中で、ずいぶんとすっきりした気分になってしまったのです。そして、あたりまえでいいのだから、自分の家で使いたいもの、必要なものを作ろう、それなら「型打ち」に戻ろうと考えたのです。絵柄のない「型打ち」技法のスタイルは現在まで続き、逆にじゅうぶんに山本さんの個性ともなっています。極端な自己表現を避けたかたちとはいえ、白磁ながらもやわらかな質感を持ち、その静かな佇まいには独特の存在感があります。なによりも、日常になじんで使いやすいものばかりであるのは、いつもの暮らしでの必要を考えて作られたものだからでしょう。実は、山本さん夫妻が独立後の工房を探し始めた時、有田ではない場所がいいと思っていたのだそうです。これから自分たちの作っていくべきものが、従来の有田のイメージとは違うのではないかと考えたからです。ところが、たまたま入った不動屋さんで、みごとに仕事に好都合なスペースと環境の今の物件を見つけたのです。そうしたら、おまけに偶然にも裏山が「天神森窯跡」だったわけです。「型打ち」による成形というのは、もともと陶器窯にはなかったもので、有田の磁器に始まったものです。実際「天神森窯」では、1610年代から30年代のものとみられる最初期の「型打ち」成形の皿がたくさん出土しています。「有田で仕事を始めさせてもらうことになったのも、やはり何かの縁だったのだと思います。これからは、有田にいることの意味を、作ることにもっと繋げていきたいと思っています。初期伊万里から続いている有田の流れに、自然に乗りながらやっていく気持ちです。」おだやかにも力強く語ってくださる山本さんの、今後の展開がますます楽しみです。
参考文献/考古学ライブラリー55「肥前陶磁」大橋康二著 ニューサイエンス社
小売価格: ¥2,090
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山本亮平
1972年 東京都生まれ。
1998年 多摩美術大学卒業。
2000年 佐賀県立有田窯業大学校短期終了。
2007年 有田に工房を構え作陶を続ける。