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「灰色」は無彩色のグレーの訳名のように思われていますが、実際の灰の色はかすかに黄茶の色みを持っています。いわばオフグレーが灰色。 |
後藤照明さんの手作りデスクライト
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ちゃぶ台の上に、1つぶら下がる電燈を思い描いてみて下さい。ほとんどの方が、アルミの灰皿(会議室とか病院の待ち合い室にあったような)をひっくり返したような平ベったい形のシェードを連想したのではないでしょうか?
P1セード(シェードじゃなくてセードというところが雰囲気。)と呼ばれるこのかたち、実は、いつ頃誰が作り始めたものなのか良く分かっていないらしいのです。かつては、ホルダー1型と呼ばれていたとか、カタログの1ページめに載っていたので「P1」だとかなんて説もあるようで、戦前からすでにあったことだけは確かです。P1セードが、それまでのガラスに替わってアルミになったのは、戦争中の灯火管制の下であかりが外に漏れないようにという工夫として普及していったのではないかと言われています。
さて、昭和の始めの時代から、延々とこのP1セードを作り続けている会社が東京にあります。1895年創業の後藤照明さんです。当時から今にいたるまで、ほとんど変わらない手作業で素朴な照明器具が組み上げられています。後藤照明さんのある両国のまわりには、墨田区、江東区、江戸川区あたりを中心に、昔ながらの手仕事を守る職人さんたちの工房がたくさんあります。ガラスは手吹き、アルミはへら絞り(前ページの野田琺瑯さんのところで説明しましたね。)というようにひとつひとつのパーツがみな手作りなのです。
もともと電燈といえば白熱灯のことだったのですが、昭和30年代から蛍光灯が普及し始め、世の中全体がより明るい光を求めるようになります。
大手企業が蛍光灯を大量生産するようになるにつれて、小さな電燈メーカーは、ずいぶん数を減らしてしまいました。後藤照明さんも、かつては十数名の社員がいましたが、今は4名のスタッフで切り盛りしているのだそうです。会社の個性を損なわないように、素材を生かした流行に左右されない白熱電燈だけにしぼりこんで仕事を続けてきました。レトロとかクラシックとかという言葉がもてはやされるずいぶん前から、何も変わっていないのです。モノを作っている人が皆言うことですが、同じものを長く売り続けていくことは、ほんとうに難しい。もちろん品質を維持する技術も必要ですが、なんというか、自信とか覚悟みたいなものがはっきりとないと絶対にできないことなのです。
倉敷意匠では、後藤照明さんにお願いして、へら絞りの製法でオリジナルデスクライトを作ってもらったのです。型押しとは違うこの技は、実は新幹線の丸い鼻先や、スペースシャトルの機首にも使われるすごい技術なのです。日本の町工場の真面目な技術力です。こんなライトで机を照らしながら、モノを作るということの意味やなんかちょっと考えてみたりしませんか?
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回転する鋼板にヘラ棒をあてがい、一つずつ成形していきます。 |
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アームの後ろにGOTOH+CLASSIKY'Sのロゴシールが。 |
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